H24.7.24

昼頃、井戸端げんきの伊藤さんが千葉から雑誌の取材ということでわざわざ大阪まで来てくださった。1時間半程度の滞在時間ということで、挨拶もそこそこに凡に移動。一応テレコを回して話し始めたが、途中「あきらめた!」とテレコを止め、今日一緒にいた時間で感じたことをお互いが原稿に書くということになった。本当にたのしかった。帰りの車中、驚く話を聞いた。久しぶりに「腐った世の中」ということばを口にした。そんなことは自分が生まれる前からそうだし、もっといえば有史以来そうだし、何を今更という気持ちはあるにはあるが、どうしようもなく言いたいときもあるから言う。世の中本当に腐っている。
原稿には書かなかったが、ひとつ今日気づいたことがある。それは伊藤さんは顔つきが本当に自然だ、ということだ。伊藤さんだけではなく、ここ数年、介護を通じて出会った尊敬できる人たちはみんな、顔つきが本当に自然だった。あまりに自然だったのでそれがそうだとは気づかなかった。最近、挨拶まわりやなんやで、3ヶ月ぶりにたくさんの知らない人と出会って、その顔つきに違和感を覚えるひとがいたので、なおさら伊藤さんの顔つきが自然に思えたのかもしれない。顔つきがおかしいと感じる人たちに共通していることがある。それは自分のことしか話したがらない、ということだ。自分が出会った、一緒にいた人たちのことは話さない。自分が誰で、どういうことが出来るのか、そればかりをなめらかにアリバイのように話す。でもことばとは裏腹に、その表情はぎこちない。なにか恥のようなものがべったりと張り付いていて、それを取り繕うかのような動き方をする。自分はそういうひとはあまり信じられない。でもいつかそのひとたちと、そんな嘘のようなことばじゃなくて、やむにやまれず溢れ出すようなことばを話しあえたら、とも思う。ところで、自分の顔はそのひとたちにはどうみえているのだろうか。自分の顔つきもおかしくなっていないだろうか。まだだれとも出会えていないから、今の自分の顔がわからない。